「何かが変わる」



昔、唯一の存在だと初めて認めた主の孫が孤独に身を置いていた煉獄の焔を纏う神将に光を与えた。
小さな幼子が孤独が持つ寂しさの意味を教える事で、誰もが驚くほどに大々的に紅蓮は変わったのだ。
それからだ。自分が、読むことが出来ないと思っていたあの男の思考が存外解り易いものだ、という事に気付いたのは。
複雑極まりない思考回路ではなく、自分達と同じで他愛もない事で笑う怒る。時折、やけに人間臭くもあれば、決して人と交えるものではないのだと自身に聞かせるように冷たく言い切るなど。
そうだ、表情が出てきたからなのだろう。だからこそ、その心のうちが読みやすくなったのだ。
彼は自分が思うよりも何処までも普通だった――幾年か前までは。

「…い、…おい、勾っ」
「―――――っ!?」

唐突に視界を遮った大きな黒い影と頭上から落とされた声に思わず息を飲んだ。
けれど闘将として永く在る無意識の防衛本能が、すぐさまそれは危険なものでないのだと告げてくる。
しかし己の考えに没頭していたから、安堵すると同時に眠りから醒めたような心地が今更になってやってきて、何度か瞬きを繰り返すことで己の現状を漸う理解すれば、目前に在る物がゆらゆらと上下に揺れる手だと気付く。
褐色の肌をしたそれと先程の声がその正体を物語り勾陣は顔を上げた。

「……騰蛇」

座っているソファーの背もたれに肘を着いて、身を乗り出すようにして覗き込んでいた彼と目が合った。

「こんな所で転寝か?珍しい事もあるもんだ」
「……考え事だ。何処でも寝るお前と一緒にするな」

そう言ってやれば、事実だろうに男はむぅと拗ねるような様を見せる。幾万と生きている彼に今更子ども染みたその仕草は不似合いだと思うのに、それでも実際の所はよく似合っているのだから可笑しくて笑みが零れた。

「それで?私に何か用があったんだろう?」

自分の笑みに揶揄られていると思っているのか益々渋面となる男に、あぁこれではいけないと勾陣は話題を変えた。機嫌を悪くさせるつもりはないのだ。ただ、その様が存外好ましいと思っただけなのだから。
それに転寝しているのかと思っていたらしい自分にわざわざ声を掛けるのだからそれなりの用事があるのだろう。そうすると男のほうもすっかり失念していたのか小さく声を上げて、ちらりと背後に視線を送ってまた戻す。

「晴明が呼んでいた。明日、旦那と仕事を変わってほしいそうだ」
「その打ち合わせか」
「多分な」

了解したと、いい加減男を仰ぎ見るにも首が疲れたので勾陣は顔を下げようとした。
――したのだが、目の前を何かが横切り。

「……?」

すっと伸びた男の指が頤を捉える。
いきなりの行動に上手く思考が回らず、とりあえず目前の男の名を呼んでみた。

「…騰蛇?」

彼は何も言わず、ただ勾陣の頤につっと指を滑らすだけだ。
金の瞳は午後の穏やかな日差しが届かず暗い影を落とす。だからそこに宿る感情を勾陣は上手く読むことが出来ない。困った。一体、何がしたくてこんな風に触れてくるのだろう。

――彼の思考は読みやすいと思っていた。
幾年か前までは、だ。
最近の、特に共に在る事を望んで以降の彼は時折こんな風に自分では測れない何かによって突飛な行動を起こすのだから、また最初から彼という表象を作り直さなければ成らなくなってきたのだ。
そうはいってもやはり長年そうだと思ってきた紅蓮のそれを作り直すには些か難しい。

だからいつも、困る。

「……と」

彼の名を紡ごうとした唇に、その指先が触れた。

心地良い温度を持つそれに驚きはしたが、指先はこの唇の形をなぞる様に滑るだけ。
相変わらず男は、読めない瞳でじっと此方を見下ろすのみなのだから勾陣は戸惑うしかない。
そっと壊れ物に触れるように、触れるか触れないかのぎりぎりの境界を彼は保っている。
何だかくすぐったくて、それなのにきゅっと胸の奥を優しく締め上げるようで――あぁこれはきっと切ないというのだろうか。

言葉も何も紡げる雰囲気でない。
だからただ黙って男の次の行動を待つように見上げれば、不意に彼の金の瞳が揺れた。

「………触れても、いいか?」

小さく落とされた、了承を請う言葉に。
少しだけ苦渋が含まれたその瞳に。

「……触れたいのか?」

どこにだとか、何でだとか。
それよりも拒む理由など此方にはないし、改めてそんな事を聞かれるのも変な感じがした。
うん、と頷いた男はじっと此方を見つめてくる。指先は、それを主張するように少し力が込められて。

愛しげにこの唇をなぞり。

いつもなら真っ赤になってそんな行動も出来ない男が一体どうしたというのか。
そんな風に素直に頷かれてしまったら、からかう様ことだって出来やしない。
その指先にふぅと溜息を一つ。
勾陣は微かに口角を上げると紅蓮に向けて手を伸ばした。そうして白い手が彼の首筋に絡まる。
それを了承の意と受け取った彼が、その笑みに応えるように目を細めると引き寄せられるようにその背が屈められた。


――変わらないものはないのだ、と彼の主は言った。
まったくその通りで彼は変わった。いや、芯は変わらずあの頃のままだがそれを取り巻くひとつひとつが僅かだが変わっていったのだ。
あぁやはり、自分が彼に持つ表象を早いところ変えてしまわないといけないのかもしれない。

落ちて、段々と迫る影に勾陣は瞳を伏せた。

こんなことが何度も起こるのは些か心臓に悪い。
それにきっと。
そうやって変わった彼さえも、自分はまた愛しいと思ってしまうのだろう。


――そして、こんな風に彼の全てを享受してしまうような己もまた変わったと誰かは言うのだろう。





この唇を受ければ、きっとまた何かが変わる




20080809


日ごろの感謝を込めて、と呼ぶ声のイラストやお祝いのお礼、として。
【君ありてこそ】はると様へ【紅蓮と勾陣でほのぼのあまあまなお話】でした。
いつも優しいお話を拝見させて頂けて嬉しく思っております。
オリジナルサイトと二つを運営なさって大変でしょうけども、あまり無理はなさらずに。
本当に有難う御座います!!





「雨雫」加月さんより頂きました。こんなにすばらしい作品をいただけたことが、本当に、本当に嬉しくて、いま涙腺が緩んでいます。
 加月さんの小説にはいつもいつも勁い心をもらえます。それに何度励まされたことか…。何度お礼を言っても足りないくらいです。もう幸せすぎて自然に笑顔がこぼれてきちゃいます(>_<);;
【何かが変わる】終始感嘆のため息をつきまくってしまいました…っ。だって、だって本当に素敵なんですもの。少し変化した紅蓮との関係に戸惑いを感じながらも、愛しさや切なさを感じる勾陣が、綺麗です…。しっとりとしていて、甘い、愛おしくなるような小説でした。加月さん、ほんとうにありがとうございました。
 08/08.10 はると